top of page

 時間が少し経ち、日が登る。

 

 「いだだだだだ!!」

 

 腕の痛みと共に、現実に戻された。

 間違いない、これは現実で、僕はまだ生きている。じゃなければ、こんなに痛いはずがない。

 

 僕の大声に驚いた鳩が、バサバサと羽音を立てて飛び去っていく。

 そこには、街の日常が戻っていた。

 

 「す、すみません! 沁みました?」

 

 手当てをしてくれていた少女は、大きな目をぱちくりとさせ、あわあわと慌てた様子を見せた。先程、僕を助けてくれた時とは、随分と印象が変わった。今は年相応の可愛らしい少女の様だ。

 

 大きな青色の瞳の優しそうなタレ目。

雪のように白い髪は、一部で丁寧に三つ編みが施されている。

 歳は10代後半くらいだろうが、服装はとてもシンプルだ。魔導師らしいオーバーサイズのローブを着て、フードをかぶっている。色は黒一色。あまり派手なものを好まないのかもしれない。

 

「いや、大丈夫。ごめんね、大きな声を出して」

 

 情けない。もうとっくに成人しているというのに、少女に助けられた上に、こんなに浅い傷で大声を出している。男なのに情けない。

 

 あの時は必死で、おまけに暗かったために深い傷だと勘違いしていた。日が登ればどうだろうか。シャツは大きく破れているが、肝心の腕は少し擦れている程度だった。血も沢山出ている様に感じていたのに。

 

 恐怖心がそうさせたのだろう。もしかしたらあのラゴも、そこまで大きくなかったかもしれない。人間の思い込みというのは、本当に不思議な力がある。

 

「もう少し、我慢してくださいね」

 

 少女はそう言うと、慣れた手つきで、包帯を巻き付ける。

 

 会話が思いつかない。こんなに若い子と話すのは久しぶりだ。

 

 「あ、まだ名乗っていなかったね。ぼ、僕はタース。助けてくれて、あ、ありがとう!」

 

 The人見知りといった、ぎこちない挨拶を終える。

 あまりにも挙動不審だと、巡回中の憲兵に目をつけられてしまうかもしれない。横目でちらっと周囲を見渡してみるが、とりあえず人気はなさそうだ。

 

 「いえ、とんでもないです。私はツララと言います」

 

 ツララと名乗った少女は、にこやかな笑顔と共に自己紹介を返してくれた。

 

 「ツララちゃんだね よろしく」

 

 「はい、よろしくお願いします。タースさん」

 

 けれど、ここからが人見知りの真骨頂。秒で会話が止まってしまった。

 初対面の人と話すのは苦手だ。しかし沈黙に耐えられる精神力も持ち合わせてはいない。

 

 ツララちゃんは僕の傷口が痛まない様に、慎重に作業をしている。僕から話さないと、このまま無言の時間が流れそうだ。

 

 「そ、そういえば、さっきの凄かったね。詠唱をしていたから、ツララちゃんは魔導師なのかな?」

 

 だめだ。緊張しすぎて、最近よく言われる〝おじさん”の喋り方になってしまった。いや、まだ28だし、下心は微塵もないのに、どうして怪しい構文になってしまうんだ。

 

「詳しいのですね。なかなか星座の種類まで覚えてる方はいないのですが、もしかしてタースさんも星座なのですか?」

 

 ツララちゃんは嫌な顔一つせずに、会話を続けてくれた。

 

「いや、僕じゃなくて弟が星座なんだ」

 

 ここで僕の悪い癖が出てしまった。「弟は凄いんだよ」という言葉を皮切りに、語り始めてしまった。しばらくして、ハッと自分が一方的に弟自慢をしていることに気がつく。

 

「いや〜。僕も、弟や君みたいに、アスタに恵まれたかったな〜、なんて」

 

 そう言って、慌てて会話を切った。

 これは引かれた。完全に引かれた。

 穴があったら入りたい。と、心の中で顔を抑えて一人反省会をする。

 

 「弟さん思いなのですね。私にも妹がいるので、可愛い気持ちはとてもわかります」

 

 ツララちゃんは、口元に手を当てながら、上品な笑顔を見せた。

 意外にも好感触だったようだ。

 

 兄妹の話。これがいける。そう手応えを感じた僕は、会話を発展させようとした。

 

「……まあ。アスタが与えるのは、恩恵だけとは限りませんが」

 

 ツララちゃんは不意にそう、ポツリと呟いた。

 

 『兄さんはいいよね。普通でさ』

 

 昔、弟に言われた言葉を思い出した。

 

 特殊な能力を持つ人間、星座。

 魔術を使えたり、従者を呼び出したり、はたまた空を飛んだりできる人もいる。

 僕はずっとそれが羨ましかったし、弟が星座なことを誇らしく思っていた。

 

 でもきっと、優秀な人は優秀な人で、悩みや苦悩があるんだろう。普通の僕らには分からないような。

 

 「あ、ごめ……」

 

 「よし、できました!」

 

 「わっ……。あ、ありがとうね」

 

 話すことに気を遣っていたせいで、手当の進捗を見ていなかった。

 気が付けば、包帯がきれいに巻き終わっている。

 

 ツララちゃんも、作業終了と同時に会話を切りにいったように感じる。僕は喋るのは下手だけれど、なんとなく空気というか、そういうものには敏感なんだ。

 これ以上聞くのは野暮だろう。

 

 「それではタースさん、ご自宅までお送りします」

 

 その言葉に、僕は少し困った。

 どう説明するべきか。こんなことを、星座とはいえまだ若い女の子に言うべきだろうか。

 

 「ごめん、僕はもう少し調べごとをしないと」

 

 「調べごとですか?」

 

 僕はそれに、小さく頷いて返事をした。

 ツララちゃんは少し困った様子だ。

 

 「ですが、一度はご自宅に帰られた方が良いと思いますよ」

 

 彼女はそう言うと、鏡を取り出して、僕の前に出した。

 

 そこには、草臥れた顔をした男がいた。

 元々冴えない顔とは言われていたけれど、今は更にボサボサの髪、クマのできた顔。よれたスーツ。よく本体といじられるメガネも酷く汚れてしまっている。

 

 確かにこのままだと、不審者だ。

 ただ、僕は今とある理由で帰ることができない。

 

 「ごめん。今うちには帰れないんだ。話すと少し長くなるんだけれど」

 

 「大丈夫ですよ。もちろん、話したくないのであれば無理には聞きませんが」

 

 正直、話したくはない。ただ、助けてもらった上にこの状態で何も話さないというのは難しいだろう。

 傷は浅いとはいえ、この子が怪我人を放っておくとも考えにくい。

​ いや、話すよ。と宣言をし、一呼吸おいてから話し始めた。

 

 「ツララちゃんは、今この街で起こっている事件を知っている?」

 

 この街ネロは、美しい水路が特徴で水の都と呼ばれている。首都のベットタウンであり、観光客も住民も多い比較的にぎやかな街だ。

 そんなネロで、ある事件が起こっていた。

 この1週間で、3人もの女性が、殺害されたのだ。

 

 事件の中で凶器や犯行理由に共通点が見られ、憲兵は連続殺人事件として調査を行なっている。

 でも、調べてあることがわかった。これは、ただの殺人事件じゃない。

 犯人は、知能を持ったラゴだ。いわゆる知能個体。

 そして、容疑者は、戦後最悪と言われるラゴだった。

 「鉱石の魔導師」

 

 ツララちゃんは、僕が発したその単語に反応する。

 

 「流石に、リトスの事件は知ってるみたいだね」

 

 「はい。……まだ幼かったのであまり詳しくはありませんが」

 

 無理もない。それはもう8年も前のこと。ツララちゃんはまだ小さかっただろう。

 

 僕も当時はまだ学生で、ニュースを見て衝撃は受けたものの、あまり気に掛けられなかった。他の島の話であったし、ちょうど就活をしていたからだ。

 

 リトスはエアルーンという島の最北端に位置する鉱山地帯の街の名前だ。小さな街だが、高エネルギー結晶が採掘される地域で、かなり裕福だったと聞いている。

 

 8年前、その街が一夜にして滅んだ。

 大罪人、鉱石の魔導師の魔法によって、街のほとんどが結晶に埋め尽くされたそうだ。

 

 「ツララちゃんも魔導師だからわかると思うんだけれど、魔導師は魔術を使うとアスタを大きく消耗するんだよね?」

 

 「そうですね。一度に大量の生成を行うと、最悪の場合、死に至ることもあります」

 

 そのために、鉱石の魔導師はもう死んだと言われていた。

 それもそうだ。いくら常人離れした能力が使えるとはいえ、街を一つ飲み込んでしまうような術を、ノーリスクで使えるはずがない。そんな事ができてしまえば、とうの昔にこの国は滅んでいるだろう。

​ 

 実際に、この8年間で鉱石の魔道師が現れることはなかった。月日がその罪人を風化させていた頃だった。

 

 ___でもそれが、生きていたんだ。

 

​ この街で犠牲になった3人目。被害者には妹がいて、その子が憲兵に助けを求めた際にこう言ったらしい。

 

 「お姉ちゃんが宝石になっちゃった」と

 ラゴが関わる事件は、【星団】という組織が基本的に対応する。

 しかし、鉱石の魔導師に関する発表は未だにない。

 調査が難航しているのか。もしくは、隠蔽でもしているのか。

 

 「そんな情報をどうして貴方が……」

 「調べていたからね。それはもう、必死に」

 ツララちゃんは大層驚いているようだ。

 無理もない。僕の見た目は平々凡々。何ならちょっと冴えないくらいだ。

 アニメであればこんなモブのような男が大層優秀で、視聴者を裏切るギャップを起こすこともあるだろう。しかし、生憎これは現実。僕は見た目通りの一般人だ。

​ 情報を手に入れられたのには訳があった。

 それを説明しようとするが、次の言葉が詰まった。口に出せば、また認めなければいけない。できれば忘れてしまいたい。目を逸らしたい事実に。

 

 

 「二人目の被害者……僕の妻だったから」

 今でも、あの日のことを思い出す。

 

 「それじゃあ、行ってくるね、アイリース」

 スーツを着て、革靴を履いて、鞄を持つ。そして彼女に行ってきますと言う。

 いつもの日常。

 「ネクタイ。曲がってる」

 

 何かしらを彼女に指摘されるまでがセットだ。

 ご、ごめん。といつもの情けない声が出る。

 

 「そうだ、今日は大事な話があるから、終わったらまっすぐ帰ってきて」

 

 「わかった。行ってきます」

 

 「いってらっしゃい」

 

 パタンと扉を閉め、仕事へ向かう。

 

 最近、彼女はなんだか元気がないように見える。体調が悪いのか、はたまた僕が頼りないから、愛想を尽かされているのかもしれない。

 何にせよ、どこか空気がピリッとしていることを感じる。

 ___帰ったらきちんと会話をして聞いてみよう。

 

 結婚して3年。3年という年は節目だともいうが、もしも別れようなんて言われたらどうしよう。そんな不安が頭をよぎった。

 

 だめだ。男なんだから弱気になったら。そう思いつつ、悶々とした中、仕事を終える。

 退勤が少し遅くなってしまった。

 

 「おっ、リベル君。 これから部長と飲みに行くんだけれどどう?」

 

​ 「すみません。今日は妻との約束があるので、お先に失礼します。また今度ぜひ!」

 課長からの誘いを断り、駆け足で職場をあとにする。

 端末から「遅くなってごめんね。今から帰るねと」メッセージを送り、急ぎ走りで帰路に着く。

 

 返信はなかった。夕飯の支度で手が離せないのか。はたまた、また怒らせてしまったかもしれない。

 息を上げて、自宅の玄関前にたどり着く。ふう……と一度呼吸を整え、少し緊張しつつも、玄関の鍵を開けて中に入る。

 

「た、ただいま……。アイリース?」

 

 それからのことは、あまり覚えていない。

 自分で憲兵を呼んだのか。誰かに助けを求めたのか。

 

 「先日の殺人事件と凶器が一致したというのは本当でしょうか?」

「奥様、誰からか恨みをかっていたんじゃないですか? 犯人に心当たりは?」

 

 フラッシュで我に帰った時は、目の前にいくつものマイクを突きつけられていた。

 

 アイリースは殺されたらしい。ナイフで刺された傷が致命傷となり、命を落とした。

​ そして、アスタを奪われた。

 僕はその様子を見たはずなのに、記憶が曖昧だ。


 僕ら生物に宿るアスタは、生命と力の根源。物理的に欠損したり、精神的に大きな傷を負うと欠けてしまう。大破すれば、命をも落としてしまう。

 

 欠損によって、時にはそこに宿る記憶までもが抜けてしまうらしい。

​ 恐らく僕も妻の姿を見て、ショックで記憶を飛ばしてしまったのだろう。

 これは自己防衛本能で、思い出したくない記憶を忘れて、精神崩壊から心を守るためだという。

 報道陣は、悲しむ暇を与えてはくれなかった。

 僕はただ一言「思い出したくありません」とだけ言って、家から飛び出した。

 

 帰る場所を失った僕は、事件の手がかりを探していた。

 僕が調査をしている間にも、一人、犠牲者が出てしまったことは、悔いても悔やみきれない。

 報道陣は当てにならない。自分の足で探すしかなかった。

  聞き込みのお陰で、星団から発表されていない情報も手に入った。

 皮肉にも、「被害者の夫」。それを使えば、住民の同情心が答えてくれた。

 

 気の毒に思ったのか、近所のパン屋の店主は、僕に売れ残りのパンを持たせてくれたりもした。悪いとは思ったけれど、いまだに手をつけられていない。食欲がどうしたって湧いてこないんだ。

 

 そうしながらも、何日も夜遅くまで調査をしていた。そして昨夜、運悪くあの化け物に出会ってしまった。

 

 どうせラゴに出会うのなら、仇である鉱石の魔導師だったらよかったのに。

 

 もう叶えられないかもしれないと思ったが、ツララちゃんに助けられたおかげで、目標にまた近づくことができる。

 

「僕は絶対に、妻を殺した鉱石の魔道師を見つける。見つけ出して……」

 

 続く言葉は飲み込んだ。

​ 沈黙の後、ツララちゃんは「事情は分かりました。少し待っていてください」と言い残し、少し離れた場所で、誰かと通信をし始めた。

 しばらくして、戻ってくると、ついてきてくださいと言って案内される。

 「え。どこへ?」

 「第三の被害者の元へ」

 「……え?」

 僕が戸惑っていると、ツララちゃんはそう言うと、眉を歪ませ、少しいたずらな笑顔を浮かべた。

 「職権濫用なので、内緒ですよ」

bottom of page