「私は誰も殺害していませんし、誰の星も奪っていません。エリスちゃんのお姉さんを結晶化させただけです」
目の前の少女が、淡々とそう語る。
状況が飲み込めない僕は、しばらく何も返せなかった。
「冗談はやめてよ。 あはは。僕をからかっているの?」
ようやく出た言葉はそれだった。冗談にしてはきつすぎる。そんな冗談を言うような子ではないことは、なんとなく分かっていた。
ただ、この子が大罪人であるということに比べたら、そんな冗談を言う確率のほうが高かった。
「だって、リトスの事件は8年も前だよ、君はその時10歳くらいでしょ?まさか、見た目だけ若いです~っていうのかな。あはは」
「いえ、私は18歳です。だいたい見た目通りかと」
「ほら、やっぱり。和ませてくれようとしたんだろうけれど、そういう嘘は良くないよ。大体、今朝助けてくれた時、氷を生成してたじゃない」
信じてもらえませんか、と言ったツララちゃんは腕を虚空に上げて、詠唱を始めた。
「流星よ。天涯より注げ」
無から有が現れた。
鋭く生成された結晶は、真っ直ぐに僕の方へと飛んでくる。
勢いは収まることなく、そのまま脚を貫かれる。
「っ!!?」
鋭い痛みが、駆け抜ける。
今朝、生成されていたダイヤモンドダストは、たしかに氷の類いだったはずだ。
周囲の気温だって、肌でわかるくらいには下がっていた。
でも、今僕に突き刺さっているこれは、氷のように冷たくはない。
「私は連星と言って、生まれつきアスタを二つ持っているんです。一つは氷をそしてもう一つは、鉱石を生み出す能力」
今朝の傷と同じだ。深く、血も沢山流れている。
そうだ、僕は化け物にやられたんじゃない。
「思い出しましたか? 私は鉱石の魔導師、そして」
思い出した。
僕は、エリスちゃんの姉さんを知っている。調査の中で、出会って……
そして僕は、ツララちゃんに、討伐されるはずだった。
「タースさん、ラゴは貴方です」
ツララちゃんのその言葉が、事実として突き刺さる。
僕はどうして、今の今まで忘れていたのだろう。
僕がラゴになったのは、アイリースが死んだあの日だ。
家に帰ると、いつも迎えてくれるはずのアイリースが出てこなかった。
返信もなかったし、体調でも悪いのだろうか。
そう思い、彼女の部屋へと向かった。
扉を開くと、知らない誰かがそこにいた。
手には血の付いたナイフが握られ、足元には人が倒れている。
それはアイリースだった。腹部から血を流し、荒い呼吸を繰り返している。
僕は無我夢中で、殺人鬼に飛びついた。頭よりも先に、彼女を守ろうと身体は動いていた。
もみ合いになる中でナイフを奪い、運良く殺人鬼に一撃を入れることができた。
しかし、運も長くは続かなかった。
身体に痛みが走った。心臓近くに刺さったそれが、おそらく致命傷だったのだろう。
殺人鬼は、傷口を押さえながら、逃亡した。
薄れゆく意識の中で、僕を呼ぶ声が聞こえた。
彼女もひどい怪我だった。早く、彼女だけでもと懇願した。
身体はもうピクリとも動かなかった。
「貴方だけは、死なせない」
最後に聞こえた声を思い出した。
気がついたら、報道陣のフラッシュの中だった。
アイリースはアスタを奪われ、死亡したと聞かされた。
今朝、ツララちゃんにしてもらった包帯を外す。そこには、かすり傷一つなかった。
僕はラゴになったことで、一命をとりとめたんだ。
そして無意識のうちに狂暴化し、エリスちゃんのお姉さんのアスタを奪ってしまった。
「あの術は、生物を仮死状態で保存できるんです。お姉さんは、まだ生きている。だから、返してください。お姉さんのアスタを」
そう説得をされた。
まだあの子が助かるということを知り、僕は何よりも嬉しかった。そういうことならば、すぐにでも、死んででも返したい。
でも、外傷を受けたせいか、それともラゴが凶暴化するという夜になったからだろうか。
自分の意志とは別に、僕の身体は異型へと変わっていく。
鉤爪へと変化した腕が、ツララちゃんに迫る。
やめてくれと、身体を必死に動かそうとするものの、制御は効かない。
回避はしたものの、ツララちゃんの肩を掠めてしまう。
「ニげ……て」
かすかに動かせた口から、必死にそう伝える。
それでも、ツララちゃんは逃げなかった。負傷した肩を抑えながらも、覚悟を決めた表情は変わらない。
僕は、もう自分のものではなくなった身体に必死に命令を出す。その抵抗は虚しく、鉤爪がもう一度振り下ろされる。
ツララちゃんは先程の攻撃で、回避は難しいと悟ったのだろう。今度は術を展開して、鉱石の障壁を生成する。
一度は防げたものの、二撃目がまたすぐに振り下ろされる。
障壁は砕け散り、衝撃で小さな身体は飛ばされた。
インテリアも、同時にいくつか飛び散り、大きな音が鳴る。
次の攻撃は回避もできない状態で、恐らく術の展開も間に合わないだろう。
やめろと心のなかで念じるものの、腕が攻撃をやめることはない。
僕は目を閉じた。予想できる惨状を、見たくはなかった。
勢いよく振り下ろされた腕は、ピタリと止まる。
目標物に到達したのだろうか、そんな感覚はない。
恐る恐る目を開けると、ツララちゃんの眼の前で、静止していた。
なぜ急に止まったのか。ツララちゃんの倒れている床を見ると、答えがわかった。
そこには、僕らの思い出の写真があった。
そうか、僕は今、ラゴだから理性を失って暴れているんじゃない。
これは、僕に死んでほしくない。そう願った"彼女"の意志だ。
「もうやめて、アイリース」
彼女の名前を呼ぶと、身体がそれに反応するように、ピクリと動いた。
考えてみればそうだ。僕が喰べたのは、彼女のアスタなんだから。
胸に手を当てると、鼓動を感じる。生きている証だ。生かしてもらった証だ。
___でも、ごめんね
「僕はもう、君のいない世界で生きていたくない」
そう本心を伝えると、目には涙が溢れてきた。僕の涙ではない。
もう一度、君に会いたかった。そんな願いはする必要がなかった。
____君はずっと、ここにいたんだね。
もう抵抗の意思はないといって、手を掲げる。
ツララちゃんはそれを信じてくれた。
「どうして今朝、僕を助けてくれたの?」
少女に、そう尋ねてみる。
僕はあの時、夜明け前で力も弱っていた。朝のあの時に討伐してしまえば、リスクを冒す必要はなかったはずだ。
「ただの私のエゴですよ。貴方に、自分のしたことを知ってほしかった」
「あはは。君は嘘が下手だね」
僕がそう返すと、ツララちゃんはぽつりぽつりと話し始めた。
「本当は、重ねていたのかもしれません。私も昔、願ったのです。救いを。名前も知らない、〝誰か″の助けを」
それは本心から出た言葉であると、はっきりと分かった。
それだけ聞けば、おおよその予想がついた。
「君は今回のように、リトスの人を助けようと術を使ったんだね。君は誰の命も奪っていない」
自由に動く様になった口でそう問うと、彼女は、首をどちらにも振らなかった。
それでも、答えは分かった。
「優しすぎるよ」
「いいんです。私が選んだことですから。それにいつか必ず、証明します。潔白を」
揺るがないその覚悟の目を、僕はしっかりと見た。
彼女は優しいだけじゃない。その心はとても強硬で美しい。
この子ならきっと、これからも苦難を乗り越えて行けるだろう。
そのための手助けを、少しでいいからしたいと思った。
「うん。僕もそれを願っているよ」
僕はそういい、自らの胸に鉤爪を立てる。
そして、一つのアスタを抜き出した。僕が奪ってしまった、エリスちゃんのお姉さんのアスタだ。
「これ、お願いね。僕はこの後、命を断つことにするよ」
いくら僕がラゴだとしても、君の手を少しでも汚したくないと伝えると、了承してくれた。
「沢山迷惑をかけてしまったから。もう少し償いをさせて」
僕は床に散らばっている中でも、大きな鉱石を数個持ち上げた。
そしてそれを、身体に突き刺した。
「タースさん。何を!」
ツララちゃんは、今日聞いた中で一番大きな声を出す。
こんな姿になった僕でもまだ、心配をしてくれるんだね。
これだけ身体に傷をつけても、まだ動ける。さすがは化け物だと思った。
「鉱石の魔導師なんていなかった。いたのはなんだろうね。クリスタル・ドラゴンのラゴかな?あはは……エリスちゃんみたいな小さい子なら、勘違い、しても仕方ないよね」
流石に息が途切れ途切れになる。アスタが一つなくなったから、回復能力も落ちている。
まだ動けるとはいえ、長くは持たないだろう。
だから、動けるうちに、やるべきことをやらなければいけない。
「どうか、術を解かないでね。これ、今抜けたら流石に出血で死んじゃいそうだから。まだ少し、やりたいことがあるんだ」
「ダメです、そんなこと! 術を使ったのは私の判断で……! 貴方が償うのは、貴方の罪だけで十分です!」
ツララちゃんは、僕がやろうとしていることを。理解したのだろう。
犯した罪は、償わければならない。でも、別の人が自分の罪を被るのは、きっと彼女にとって我慢ならないことなんだ。
元はと言えば、僕がお姉さんのアスタを食べたことで招いた結果だ。
それを言っても、彼女は納得してくれなかった。
「じゃあ取引しよう。まだ殺人鬼は、この街にいる。僕らの仇を、必ず裁いて」
取引というより、一方的な押し付けだと思う。それでもいい。
彼女は首を縦に振ったりしないだろうから。
「お願いね」
答えも聞かず、化け物の姿のまま家を飛び出した。
少女は最後まで手を伸ばし、必死に僕を止めようとしてくれた。
僕も必死にそれを振り払う。化け物の力を借りて空を飛び、それを成し遂げた。
____さようなら。心優しい大罪人さん。
空はすっかりと暗くなっていた。
星座のように、空が飛べたらどんな景色が見えるんだろう。
そう憧れていたこともあった。こんな景色だったんだ。飛行船とはわけが違う。鳥になったように、自由に行きたい場所へと向かえる。
まさか、ラゴになって見ることになるとは思わなかったけれど。
フラフラと飛び、夜でも人通りのある場所へと向かう。
いつも通っていたパン屋さんは夕方で終わりだ。今はもう、自宅である上の階の電気がついている。ご主人と奥さんで、楽しく食卓を囲んでいるのだろうか。
中央にある噴水広場は、夜でもライトアップがされて、とても綺麗だ。
たまにアイリースと夕飯を食べに来たときなんかは、よく寄っていた。
人通りも、そこそこある。
空から飛来したものに、沢山の悲鳴があがる。
当たり前だ。僕は化け物なんだから。
街のみんな、恐い思いをさせてごめんね。もしかしたら何人か、恐怖でアスタが欠けてしまうかもしれない。本当にごめんなさい。それでも僕は、守りたい子がいるんだ。
ゆっくりと地上に降り、一度、大きな雄たけびを上げる。
それは化け物の咆哮となり、周囲に恐怖を振りまいた。
こんなに大きな声を出したのは、人生で初めてかもしれない。
人を襲う意思はもちろんない。
あとはここで、誰かに討伐されるのを待つだけだ。
「雷鳴よ。轟き荒め!」
しばらくすると、誰かが駆けつけてきた。
紫電が、目の前を駆け巡る。少しだけ身体がしびれた。
昼間の茶髪の憲兵さんだった。こんな時間まで、警備をしてくれていたんだろうか。
この街を守ってくれることに、心から感謝をする。
向こうは、目の前の僕が昼間の冴えない男だと気づいてはいないようだ。
憲兵さんは、通行人に避難指示を出しながら、必死に術を展開する。
静電気のようなそれは、全く僕を殺してくれない。
丈夫すぎるのも困ったものだ。と考えていると、コツっと革靴の足音が聞こえた。
「先輩、邪魔なので下がっていてください」
その声で、空気がピリッと変わる。
声の主は、長身の憲兵さんだ。
でも、雰囲気が昼間と全く違った。
帽子とマスクを外し、恐れを一切感じさせることなく、こちらに近づいてくる。
ツララちゃんを思わせる白い髪。そして翡翠色の眼光が、鋭く僕に向けられた。
昼間はマスクをしていて気が付かなかったけれど、頬に傷のような跡がある。
彼は戦い慣れているようだ。
持っているのは、たった一本の刀。
それなのに、なぜかこの人なら、殺してくれると思った。
不思議と笑みがこぼれた。これで、少しは償いができると。
お願い、僕を、殺して。そして証明して。
___鉱石の魔導師なんて、この街にはいなかったって。
______________________________________
ここまでが、このラゴの記憶だ。