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 声が聞こえる。

 「力になれなくてごめんね。心配だわ」

 「坊主。行くとこないなら泊めてやってもいいぞ」

 街をさまよっている中、そんな心地の良い声をかけられた。しかし、それは所詮、着飾った偽物だ。

 心の声が聞こえる。

 

 『気味の悪い子…… 早く離れたいわ』

 『丁度いい、タダ働きする奴が欲しかった』

 

 願いはいつだって嘘をつかない。

 頭の中には、新しい記憶がよく染み込んだ。普段表に出ることはない人間の恐怖の感情、悪意、憎悪が鬩ぎ合い、声達が木霊する。

 そんな事が何回も続いた。いつしか人を信じられなくなった。

 本当の声なんて、聞こえなくていい。聞きたくない。そんな願いとは裏腹に、声は止んでくれなかった。 

 この心を読む力は、自分が星座という特殊能力者で怪物という分類であることを差している。しかし、これはこうして日々を過ごしていくうちに分析し、ようやく理解した自分の特徴だ。

 俺はどこから来たのか、名前は何だったのか、家族はいたのか。自分のことだけ何も覚えていなかった。

 

 この街は水の都、ネロ。それは分かるというのに、自分の帰るべき場所はわからない。

 初めのうちは通行人に聞いたり、近くの店の主に話しかけたりしてみた。

 しかし今では、もう人に頼れなくなっていた。

​ 

 そろそろ、自分の中の何かが壊れそうだ。そうだ。いっそ壊れてしまえば、楽かもしれない。

 そんな事を考え、地面に落ちたセミのように、いつしか風化するのを待っている。

​_______________________________________

​​ 何日も続いていた雨のせいか、段々と身体も重くなってくる。いつの間にやら日没が訪れ、街頭が灯り始めていた。

 帰る場所は、今日も思い出せなかった。

 「こんばんは。君、保護者の人は?」

 突然、若めの憲兵に声をかけられた。

 その背後には、高級そうなレース傘を差した女性が一人。心配そうにこちらを見つめている。

 どうやら通報されたらしい。

 

 それもそうだ。雨の中、家にも入らず、ずっと一人で裏路地に座っている。おまけに服もぼろぼろだ。怪しくないはずがない。

 俺が返事をしないでいると、憲兵は「大丈夫?」と問いかけながら、手を伸ばしてくる。

​ 「触るな!」

​ 条件反射で、慌てて距離を取る。

 憲兵は伸ばした手を元の位置に収め、その場にしゃがみ込んだ。

 

 「ごめんね、驚かせちゃったね。大丈夫だよ。君を保護するだけだ。一緒に行こう。温かい飲み物もある。心配しなくていい」

 少し前ならば、この言葉も信じられただろう。

 信じた結果どうなった?

 違法な薬剤の運び屋をさせられそうになった。人身売買の組織に引き渡されそうになった。金のために、善良な市民を殺せと命令された。

 

 憲兵でさえも信用できなくなっていた。

 警戒を解くことなく、憲兵を観察する。腰には警戒棒と銃を携帯しているようだ。もしも俺が危険だと判断されれば処分されるかもしれない。あまり抵抗はしない方がいいだろう。

 「憲兵さん、その子大丈夫?」

​ 「ええ、特に怪我もなさそうです。迷子でしょう。ご安心を。我々がちゃんと保護します」

 「そう。良かったわ。最近この辺、行方不明者が多いでしょう? その子、長い間そこにいて、一人だったから心配だったのよ。憲兵さんがいてくれてよかったわ」

 「ええ、お任せください」

 憲兵は女性と気さくに話をしている。市民との交流を見せつけて、俺の信頼を得るつもりか?

 昼間は洋食屋を営み、市民に好かれている店主が、裏では人身売買に関わっている。そんな街だ。その程度で信用したりしない。

 まあいい。本性はすぐに分かる。

​ 「分かった。ついていく。立たせてほしい」

 俺は座ったまま右手を差し出し、憲兵に向けてそう言った。

 もちろん、ついて行くと言うのは嘘だ。

​ 「うん、わかった。はい、掴まって」

 憲兵は、俺が心を許したと思ったのだろうか。ほっと息を吐き、何も警戒せずに手を差し伸べてくる。

 

​ ____お前の本音を聞かせてみろ。

 差し出された手を握ると、心の声が聞こえる。

 『早く喰い殺したい。いや。もっと絶望を与えてからだ』

 冷徹なその声に、冷や汗がゾッと溢れた。顔には出てないだろうか。

 やっぱりだ。信じなくて正解だった。しかし、予想とは少し外れた声に、俺は少々戸惑う。

 予想では「さっさと孤児院に引き渡して帰りたい」などだろうと思っていた。

 どうやらそんな一般憲兵の可愛らしい心の声ではないようだ。

​ こいつは星喰い…… 『ラゴ』か。

 ラゴ。それは生物の命とも呼べる、星を喰らうもの。

 元は俺たちと同じ、人間だ。

 自分の私利私欲のために、他人の星を喰った結果、理性を持たない化け物になる。

 そうだ。普通はこんな風に、理性を持たない。これは稀に生まれるという、知能個体だろう。

 

 なぜラゴのことはこんなにも詳しく覚えているのに、自分のことだけ思い出せないのだろう。空っぽの人形に、世の中の知識だけをぶち込んだようだと思ったが、今はそれを考えている場合ではないので置いておく。

 ……どうする。

 心臓の音が、外に出てきそうなくらいに響く。手にも汗が滲んだ。

 バレていないだろうか。

 子供の俺が戦って勝てるほど、知能個体は弱くない。

 それに武器だって、廃墟で拾ったナイフしか持ち合わせてない。体調も万全ではない。道中で隙を突いて逃げるくらいしか、希望がなさそうだ。

 「顔色が悪いね。早く暖かいところに移動しよう」

 『なんならついでに、この女も連れて行って喰っちまうか』

 こんな害のなさそうな笑顔を振りまいて、心にもないことを言う。

​ 中身と外見が一致しないこの不快さは、恐らく俺にしかわからないだろう。

 ギャップなんてものではない。錯視を見たときのような、あの視界がグニャリと歪むような、何とも言えない感覚だ。気味が悪い。目眩がする。

 「すみません、奥様。私のような憲兵だけだと、この子は緊張してしまうでしょう。もしお時間ありましたら、道中一緒に来ていただけないでしょうか」

​ 「ええ、構いませんよ。 私も心配ですし」

 この展開は非常にまずい。

 俺一人でなら、運良く逃げられるかもしれない。だが、女性もとなると、それは難しくなる。

 「いや、お姉さんはついてこなくて大丈夫。 帰り、暗くなるだろうし」

 

 「帰りは仲間に送らせるから大丈夫だよ」

​ 『ガキが。余計なこと言ってんじゃねえぞ』

 「心配してくれてありがとう。でも、遠慮しないでいいのよ」

​ これ以上言い訳を重ねると、ラゴに怪しまれるかもしれない。

 抵抗虚しく、3人で行動することが決まってしまった。

 「何なら、私の傘に一緒に入る?」

 憲兵さんで大丈夫と断ると、女性は「そう」と少し悲しそうに笑った。慌てて「お姉さんの服が濡れるから」と付け足すと、悲しそうな表情は和らいだ。

 正直な話、今すぐこの憲兵の手を振りほどいて、薄汚い声とおさらばしたい。

 しかし、こいつの動きを読むには、この状態が最善だ。
 

 ……どうする。

 「それじゃ、行こうか」

​ 『これから喰われるなんて、こいつらは思いもしないんだろうな』

 この声が聞かれているなんて、こいつは思いもしないんだろうな。

 今なら、完全に不意をつける。やるなら、今しかない。

 鼓動がさらに大きくなる。手汗も、雨が降っていなければ気づかれているほどに滲んだ。。

 隠し持っていたナイフを、気づかれないように取り出す。

 ラゴは俺の手を引きながら、こちらに背を向けている。

    ナイフの長さは足りるだろうか。15cm前後。ギリギリか。身長差もある。なるべく懐に潜り込んで……。やつを呼び、こちらを振り向いた時が勝負。

​ 一撃で仕留める。俺はそう決心し、ナイフを構えた。

​ 

 「憲……」

 「キャー!!」

 ラゴを呼ぼうとしたその時、女性が悲鳴を上げる。

 先程から俺のことを気にしてくれていたのか、こちらを振り向かれた。それが仇になり、刃物を構えた姿を見られる。

 くそっ。やるしか無い。

 握っている手をなるべく引き寄せ、ラゴの懐に入り込む。そしてナイフを突き出した。

  「うガッ!?」

 一歩のところで反応され、ナイフは心臓ではなく、ラゴの脇腹をかすめた。

​ 外した。不意打ちは失敗。ならばやることは一つだ。

 素早くラゴと女性の間に入るような位置に陣取り、叫んだ。

​ 「逃げろ!」

 その言葉を理解したのか、俺の行動に恐怖したのかは分からないが、女性はその場から慌てて姿を消した。持ち主を失ったレースの傘だけが、その場に取り残される。

 勢いで倒れたラゴは、ゆっくりと起き上がる。軍帽は地面に転がっていた。

​ 先程よりも、顔がよく見える。目が……笑っていない。

 

 「お前。今、あいつに逃げろって言ったか」

 先程まで心の中だけで聞こえていた冷徹な声が、表に出てきた。​

 ラゴは掠めた横腹を抑えてはいるものの、涼しそうな顔をしている。

 人間だったら、蹲るほどには出血しているはずだ。

 「俺の正体を知っているのか?」

 その問いには答えなかった。

 恐らく勝てないことはわかっていた。それでも、俺は構えを崩さない。

 死ぬとしても、その時までは。諦めない。そう思い、ラゴに殺される時を待った。

​ しかし、なぜか硬直状態が続く。ラゴは何かを考えているようだ。

 

 「唆らねえ」

 ラゴは、そうポツリと呟いた。​

 数秒間、奇妙な沈黙が訪れる。

 その間も、雨音をかき消すほどの心音が、緊張をを続けていた。

 「そこにいるのは誰だ!」

 突如、視界が強い光に照らされる。

 女性の叫び声のおかげか、近くにいた本物の憲兵が二人、駆けつけてきたようだ。

​ ラゴの後ろから、ライトを照らして近づいてくる。

 武器を持った援軍が来た。俺は一瞬、そう思い、少し安堵した。

 眼の前のラゴが、ニヤリと笑うまでは。

 「た、助けてくれ! この子はどうやらラゴのようだ!」

 ラゴが俺を指さし、そう言った。声は迫真だが、口角は上がったままだ。

​ さすが知能個体だ。自分の偽りの身分を利用し、一瞬で俺をラゴに仕立て上げるとは。

 「ラ、ラゴ!? 大丈夫ですか! ひどい出血……。すぐ医療班に連絡します!」

 「そこの少年! 武器を捨てろ!」

 

 本物の憲兵のうち、一人は偽物を介抱し、無線を使って増援を呼ぶ。

 もう一人は、俺に銃をまっすぐと向けた。銃を持つ手は震えている。

 

 「違う、ラゴはそいつだ!」

 俺の言葉を、本物たちは全く聞いてくれない。今だに鋭い視線が、こちらに向けられている。

 皮肉なもんだ。誰のことも信じないと決めた俺が、今は誰にも信じてもらえない。

 ラゴはこの様子を眺め、満足そうに笑っていた。

 悪趣味だ。このラゴは、人の絶望を楽しんでいる。

 優しい憲兵を演じていたのも、信じ切った子供を、助けの来ない場所でじっくり殺すためか。

 恐らくこのラゴは、本気を出せば俺も、この憲兵もすぐに喰えるのだろう。​それなのにあえて、人間に人間を殺させようとし、それを見て楽しんでいる。​命を弄んでいるとしか思えない。

 俺の主張も虚しく、照準を頭の付近に定められた。

 憲兵も必死だ。呼吸は乱れ、少し涙目になっている。そんな状態でも、化け物相手に仲間を守ろうと、抵抗をしている。両者ともに絶望的な状況だ。

 

____撃たれる 

 そう思い、覚悟を決めた時、どこからか声が聞こえた。

 

​ 「待ってください」

 足音もなく、小さな影が現れた。逆光で、姿ははっきりとはわからない。​だが、シルエットから、ただの人間ではないことは明白だった。

 憲兵はその姿に驚いたのか、発砲しようとする手を止める。

 「私がやります」

 そう聞こえたかと思うと、小さな影がこちらに迫ってきた。

 キラリと光る刀身が見え、咄嗟に持っているナイフで受け止めた。

 ガキンっと、刃物同士がぶつかる音が響く。

 ナイフで受け止めたその先には、俺よりも一回りほど小さい、黒髪の少年がいた。

 先程も言ったが、ただの人間ではない。

 背中には大きな黒い羽が生え、耳にも人間のものではなさそうな羽毛がついている。

 ____俺と同じ、怪物か。

 怪物じみているのは、見た目だけではない。

 俺はナイフで必死に押し返そうとするが、眼の前の少年はそれを涼しい顔で抑えている。

 ピクリともしない。一体どこにそんな力があるんだ。

 

 どうする。どうする。

 考えていると、一羽のカラスが少年の肩に止まった。

 「君、もしかして心の声が聞こえたりしますか?」

 俺にしか聞こえないような小さな声で、カラスが喋った。

 いや、これは、伝言鳥か?そうすると、喋っているのは少年か?

 俺はその問いに、少しばかり困惑した。なぜそれを知っているのかと。

 だが、それを口にする余裕もない。俺はただ、小さく頷づき、問いに対して肯定した。

 

 「何を聞きましたか」

 「っ……あいつは……ラゴだ」

 

 小刀に押される腕を、ナイフで必死に堪える。限界が近い。食いしばった口から、それだけを伝えた。

 「信じて……くれ」

​ そう言うと、少年は小さく頷いた。そしてほんの少し、小刀を押す力を弱める。

 「ならば、今だけは私のことも信じて。この後、起き上がらないでください」

 その言葉を聞いた後、グラリと世界が回った。一瞬だった。気がつくと、俺の背中は地面に付き、顔は空を見上げている。雨粒が、目に入る。

 何が起きたのか理解できなかった。ただ、痛みは殆どない。とりあえず、先程言われたとおりに、起き上がらずにいた。

​ 

 「す、凄い! 倒した!」

 憲兵達は歓声を上げる​。

​ 人間達の勝利だ。めでたいめでたい。

 「ご協力感謝します。貴方はもしや……」

 「ええ、こういう者です。たまたま。ええ、偶然。偶然にも通りかかっただけですが」

 ラゴ(俺)を倒したと、憲兵は盛り上がる。

 俺は倒されたふりをして、横目で様子を見ていた。

 少年は身分証を提示し、色々と確認を取っているようだ。

 おーいまだ生きてるぞ。もっとちゃんと討伐確認を取ったほうがいいんじゃないかと思う。

 今は俺が討伐対象なわけで、そんなことは言わないが。

 さて、この後はどうするつもりなんだ。

 「憲兵さん、私はこの土地に詳しくないので、周囲に他の怪我人がいないか、巡回してもらっても良いでしょうか? 医療班が来るまで、彼は見ておきますから」

 「はっ。承知しました!」

 

 本物の憲兵二人は、少年の命令に、この場を離れた。

 憲兵に命令を出せる存在……。少し心当たりがあった。それならば、率先してラゴを討伐するのも頷ける。

 ラゴと少年、そして倒されたことになっている俺の3人になる。

 「憲兵さん。君、名前は? 所属はどちらですか? 身分データを見せてもらえますか?   バディはどこにいったんですか?」

 少年は、急に憲兵を質問攻めにした。

​ 「え?あ、いたたた。今は傷が痛くて……後じゃだめですか」

 ラゴは、わざとらしく傷を抑えながら痛がる様子を見せる。こいつにとってはかすり傷のようなものだろう。

​ ただ、身分を証明できないことを隠すために、人間のふりをして誤魔化そうとしている。

 「いいえ、ダメです。 答えてください」

 「わかりました。ここに端末があるので、すみませんが取り出してもらえますか?」

 ラゴは顎で胸ポケットを示す。

 若干苛立っているようだ。

 それもそうだ。2人も喰えると皮算用していたのに、俺に邪魔され、傷まで負った。

 おまけに上演予定だったエンターテイメントには乱入者が現れ、絶望なんてものを微塵も感じさせないような、澄ました顔で舞台を踏み荒らした。そして勝手にエンドロールで尋問。これは腹がたつだろう。

​ ____動く。

 それは予想できた。

 しかし、先程「起き上がるな」と言われたので、事の行く末を見守ることにする。

 少年が、憲兵に近づき、胸ポケットにあるという端末を取るために、手を伸ばした。

 その刹那。ラゴは少年の両腕をつかむ。あれでは武器が握れない。

 そして、一瞬で頭部を人ならざる者へと変え、鋭い牙で少年の頭を丸ごとを噛み砕こうとした。

 それには思わず、俺も飛び起きた。だが、一瞬のことで、何も対応できなかった。

 やはり、信じたのが間違いだったか。

 血飛沫が舞う

 俺の前に、重みのある球体が転がってきた。水たまりを弾き、びちゃびちゃと音が聞こえる。  

 質量のせいか歪な形のせいか、それはゴムボールなんかよりもずっと早く回転が止まった。

 「な、どこ……から」

 身体から離れたラゴの頭部が、そう言葉を漏らす。

 

 少年は、両手を掴まれたままでいた。それでは、何がラゴを斬ったのか。

 「おやおや、すみません。私も怪物なもので」

 少年はそう言うと、自身を抑えているラゴの腕も切り落とした。

 うねるのは、黒く大きな尻尾。そこには漆黒の刀が握られている。

 なんなんだよこれ。 

 化け物同士の戦いじゃねえか……

​_________________________________________

 しばらくすると、本物の憲兵達が戻ってきた。他に怪我人はいなかったらしい。

 生きている俺を見て、憲兵達は一瞬、絶望エンターテイメントを再上映しそうになったが、少年がすべてを説明し、誤解を解くことが出来た。

 真実を知った二人は、とてつもない勢いで俺に謝ってきた。一人は土下座でもしようとばかりに膝をつき始めたので、「やめてください」と止めておいた。

 第一、誤解されるようなことをしたのは俺の責任だ。この憲兵たちは、職務を全うし、仲間を守ろうとしただけだ。

 

 「そういえば、君!! めちゃくちゃ血出てたよね!? 大丈夫!?」

 

 土下座を中断した憲兵は、そう言って俺の身体を確認しようと近づいてくる。

 両手を前に出してそれを静止し、触れないでくれと頼んだ。

​ 「大丈夫ですから。 “俺は”」

  起き上がった時に気がついた。俺の身体は血まみれだった。これなら倒したと思っても無理はない。しかし、俺の身体のどこからも出血はしていなかった。

 それは今現在、医療班に手当を受けている少年の肩から流れたものだった。

 「都合よく血糊などは持ち合わせていなかったので、即席ですね。良い子は真似をしてはいけませんよ」

​ 「え、それ返り血じゃなかったんですか!?」

 俺も驚いた。なぜそこまでするのかと。

 現場が一段落した時に、この少年は何者なのかと憲兵に尋ねてみた。

 少し予想はしていたが、やはり、星団のものであるらしい。

 星団というのは、星座たちを集めた組織だ。主にラゴの討伐や、人々がラゴに落ちないように見回りや精神的支援を行っている。

 『クアラス』というのがこの少年の、星団での名前らしい。

 ついでに子供ではなく、怪物のために幼く見えるだけだという。歳は本人に聞いてみるといいといわれた。星団の年齢制限は、確か16からだったような気がする。となると、少年は俺よりも歳上なのかもしれない。

​ 

 

 手当も終え、支給された服に着替えた。憲兵達と別れ、すっかり暗くなった夜道を進む。

 俺はこの後、このクアラスという男についていくことにした。

 「私は、君に必要な情報を持っているかもしれませんよ。一緒に来ませんか」

 そう唆されたからだ。こいつは俺の能力のことを知っていた。ということは、記憶をなくす前の俺のことを知っているのかもしれない。

 信じたわけじゃない。ただ、俺の知っていることを教えてくれそうだからだ。

 「あの、クアラス……さん?」

 「おやおや、無理にさん付けしないでいいですよ。ありのままで」

 「……分かった」

 一応歳上かもしれないと思い敬語を使ったが、不要だったらしい。

 その方がありがたい。というのも、話しているのは恐らく男の方だが、実際に声を出しているのは肩に止まっている伝言烏だ。さん付けをするのは少しなんだか微妙な気がする。動物にさん付けをする奴もいるが、俺はそういうキャラじゃないだろう。

 本来の話し方で、あることを伝えようと声に出す。

 「あ……」

 続く言葉は何故か言えなかった。話題を変える。

 「あんたは何がモデルの怪物なんだ。その尻尾は……」

 「ああ、これは脚ですよ」

 

 思いもしなかった解答に「は?」と声が漏れた。

 男の姿をもう一度見ると、しっかりと人間の足が二本付いている。そしてしばらく考え、「嘘か?」と聞き返す。

 すると男は、問いには答えず、尻尾をおちょくるようにくねくねと動かしながら、ニコニコと笑った。

 嘘かよ、と少し腹が立った。

 

 「あんた、何歳なんだ」

 「103歳です」

 

 

 この少年のような見た目で、星団の所属。カラスのような大きな黒い翼に尻尾ではなく3本目の脚。そして103歳。

 なんだか、自分が大人にあしらわれている子供のような感覚になり、無性に腹が立った。いや、実際、103歳というのが嘘でも、こいつが成人しているような歳だったら、似た構図ではある。それでも、もう少しまともな嘘を言ってほしい。俺を5才児か何かだと思っているんだろうか。

 「もうあんたのこと信じないからな」

​ 「ええ、私は嘘つきなので、信じる必要はありませんよ。ただ、利害が一致するのなら、ついてくればよいのではないでしょうか」

 「ああ、そうだな。必要な情報は勝手に聞かせてもらう​」​

 「ええ、どうぞ。心は嘘をつけませんから」

 こいつのことは信じない。だから、裏切られることもない。

 

 「ああ。そうでした。これをどうぞ」

 そう言われて、渡されたのは、黒い革製の手袋だった。

 「触れなければ、聞こえないのでしょう? 必要でない時は付けておくといいでしょう。日常的に心の声を聞くのは、精神衛生上良くありませんから」

 触れなければ聞こえないということも知っている。やはり、このクアラスという男は色々と知っていそうだ。警戒はしておくべきだろう。また騙されて危険な目に合うかもしれない。ただ、虎穴に入らずんば虎子を得ず。情報のためには仕方がない。

​ ただ、信じる信じないとは別件で、ここまでしてもらって、何も言わないのはそれこそ子供だ。俺はたしかにまだ子供ではあるが、意地を張って礼を言えないほどじゃない。

 「……ありがとう。……あと、さっきも」

​ 「ええ、どういたしまして。いい子ですね」

 「子供扱いすんな」

 「ふふっ。そうだ、君。名前は覚えていますか?」

​ その問いには、首を横に振る。

​ 今までのやつだったら、名前をおぼえていないと言ったら、哀れ目や怪訝そうな顔をしたものだ。しかしこいつは、さも当たり前かのようにこういった。

 「そうですか、それではそのうちつけましょう」

 

 心の声は、聞こえない。

 「あんたのことはなんて呼べばいい」

 「お好きにどうぞ。名前はイザナといいます」

 「クアラスじゃないのか?」

 「さてどうでしょうね」

 「また嘘かよ。あんた103歳って言ったな。じゃあジジイって呼ぶわ」

 「ええ、どうぞ。お好きに呼んでください」

​ いつの間にか、雨は止んでいた。

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 ネロに行くと、毎度あの日のことを思い出す。

 

 結局あの後も、俺がどこから来たのかは分からず、思い出すこともなかった。

 そして、俺はある男の養子になった。

 あの時もらった黒い革手袋は、今ではもう小さくて入らなくなった。代わりに、新しいものがあのジジイから送られてくる。

 

 声が聞こえる。

 「レキ。おかえり、なさい……」

 俺が拠点に戻ると、共有スペースのソファーで死にかけているやつがいた。

 こいつの名前は、ツララ。

 どうやら今日も、あのジジイのところへ修行に行き、仕込まれたらしい。あいつのところへ行けといったのは俺だが、正直、昔の俺でもあの修行はきつかった。女ならばなおのこと、体力が持たないだろう。

 そのまま気絶するように寝始めたので、その辺にあった毛布を雑にかけておいた。

 

 「ん~。あ、レキだ。おかぁえり

 奥の部屋から、あくびを交えた寝ぼけた顔が出てくる。こいつはマシロ。ツララの妹だ。もう夕方だというのに、こんな時間まで昼寝をしていたのか。あるいは朝から寝ているのか。相変わらずの怠惰っぷりだ。ネロの出張で持ち帰った土産を渡すと、表情には出さないが喜んでいるようだ。

 「おい、レキ。てめぇ。帰ったならさっさと洗濯物出せ」

 

 後ろから声をかけられた。こいつはバズ。マシロの従者だが、何故か拠点内の掃除洗濯料理まで担当している。正直助かってはいる。

 「おかえり」

 「へいへい 」

 「へいへい、じゃねえよ。挨拶はちゃんとしろよ」

​ 「ああ……」

 俺に母親はいないが、なんとなくこいつがオカンと言われるのは分かる気がする。

​ 俺ももう子供じゃない。挨拶はするべきだな。

 拠点にいる3人に向かって、俺は言った。

​ ​「ただいま」

                          雨、そして出会い -完- 

 ​

ファンタズマ

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